何年か前、電車に乗っていると、私よりも少し上の世代の男性方が、「平和通り」、「平和通り」と連呼していました。実は、現在金華橋通りと名付けられている通りは、平和通りと呼ばれていたのです。名称が変更になったのが1990年(平成2年)のことですから、もう30年以上前のことなのです。私も平和通りと呼んで育った世代ですから、男性方の話しはピンときました。でも、その時すでに通りの名称が変更されて何年も経っていたので、新しいことに順応できないおじさんね、と少しばかにしたような気持にもなりました。でもね、この平和通りという名称は、今を生きる私たちも胸に刻まなければならないと思うのです。
岐阜市の東部には、県下有数の総合病院である岐阜総合医療センターがあります。さらにその東隣には中学校、公園、私立高校があるのですが、このあたり一帯は、戦前は、陸軍の歩兵第六十八連隊の兵営、練兵所、陸軍病院があったのです。中学校のグランドには、切るに切れない木があり、その下には、見える人には兵隊さんが見えるのだとか。戦前、帰還兵が岐阜駅から金華橋通りを通り、六十八連隊へ凱旋行進を行ったそうです。そのため、戦前、金華橋通りは凱旋道路と呼ばれました。戦後は、平和への祈りから「平和通り」と呼ばれるようになりました。
ウクライナとロシアの戦争、覇権主義的な動きを見せる国々、世界には紛争地帯はまだまだあります。今は戦後ではなく戦前だという人もいます。平和という言葉は使い古された言葉のようですが、深く重い言葉に感じます。個人的には平和通りという名称は残してほしかったです。もうすぐ、終戦記念日です。今一度、平和を祈り、平和について考えてみませんか。