痛ましい事件が起きた日野基本射撃訓練場ですが、国道156号線からは本当にすぐ近くで、事件がなければ、そこに射撃訓練場があるなんて知らずに通りすぎてしまうような所です。残念な注目のされ方ではあるけれど、今回注目されたので、この施設とその周辺の話をします。国道156号線東バイパスのすぐ近くなので、国道156号線の番外編と位置付けてみました。
国道156号線東バイパスの岩戸トンネルを抜けて関市方面へ1キロメートルほど走ると、日野南3交差点にたどり着きます。そこを右折して100メートルほど進むと、射撃場はあります。国道156号線から右折してすぐ正面に見えるほど近いのです。ただし、見えるといっても、最初に見えるのは射撃場のさらに向こうにある住宅街だけです。近づいても、市道と射撃場の敷地内の道路が直線になっていないため、市道からは正面の入口が見えないのです。
日野射撃訓練場は、明治40年に帝国陸軍歩兵第六十八連隊の射撃場として開設されました。戦後は、アメリカ軍に接収されましたが、昭和35年から陸上自衛隊が使用を開始し、現在は名古屋市にある守山駐屯地業務隊が管理しています。岐阜市の隣の各務原市に航空自衛隊があるので、てっきりそこが管理使用しているのかと思いきや、名古屋市にある自衛隊が管理していたのですね。
さて、今でこそこの射撃訓練場へは国道156号線東バイパスを通って簡単に行けますが、このバイパスが射撃場のそばを通るようになるまでは、洞山と野一色権現山を迂回するか、長良川の堤防道路から迂回するかどちらかの方法しかなく、そんなに便利なところではありませんでした。だから、目立たなかったのか、注目されることもなかったように思います。そして、1990年,平成2年に東バイパスが開通しました。時代をさかのぼると、陸軍歩兵第68連隊は、洞山の南方、前一色山の北側にあり、この射撃場は野一色権現山の北側にあります。洞山と野一色権現山はつながっているのでどこからどこまでがどっちの山かは私にはよくわからないですが、正確には射撃訓練場は洞山と野一色権現山の境の谷に作られているようにみえます。射撃場は山の麓にあるので、山に向かって射撃をするのは、誰も傷つけることなく好都合だったのではないでしょうか。平成17年に廃止されてしまいましたが、名鉄美濃町線が洞山と野一色権現山の南をこの山を迂回するように通っていました。第68連隊の兵士さんも運んだのでしょうか、それとも訓練でここまで歩いたか、いろいろ想像するのは楽しいものです。美濃町線は野一色権現山に沿うように走り、東海学院大学の前を通り、日野坂を登り芥見を抜けて関市へと走っていました。東海学院大学を過ぎた所にある天池2北交差点を左折し、350メートルくらい走ると、国道156号線東バイパスの日野南5交差点と接続します。この2つの交差点の真ん中辺りの結婚式場があるところで左折すると,野一色権現山の北側に回り込むことになります。そして、そのまま直進すると、日野射撃訓練場にたどり着きます。射撃場の前で右折すると国道156号線の東バイパスの日野南3交差点となるのです。このルートは、昔パンダプール(長良川交通公園)へ行く道だったんです。天池北2交差点を左折して野一色権現山を迂回するルートを何となく覚えているのです。日野南3交差点を越えて突き当りまで進むと長良川の堤防道路に出ます。堤防道路を通ってパンダプールへ行っていたのです。私が子どものころは、パンダプール(長良川交通公園)へ行くルートは限られていたので、当時多くの人がこのルートを通ってパンダプールに行ったと思います。
私にとっては、パンダプールの記憶とリンクする地域だったのに、今回の痛ましい事件が起きて残念でなりません。被害者の方のご冥福を祈りますとともに、ご遺族の方にはお悔やみ申し上げます。